マークポスターの1990年に書かれた「情報様式論」では既に15年以上前に現在の事態を予告するかのような議論がなされていた。
Dominick LaCapraによる用語「テクスト性」はデリダが最もよく使う用語だそうだが、<「制度化された痕跡」一般のネットワーク>として記述されているらしい。デリダが「テクストの外」には何もないと書くとき、彼は単に書物の性質ではなく、「経験一般」の性質を指す用語として使っている。
マークポスターはこれらのテクストを転覆する試みであるデコンストラクションが、部分的には主体のさまざまな形態とコンピュータエクリチユールとの関係を明らかにするために有用であり、またこのデコンストラクションの能力がその現在の実践の限界を越えて分析の視野を広げるような一般性を与えてくれると論じている。
これは非常に微妙な議論だし、テクストの否定をテクストでは行えないという現実を見据えた話だ。テクストで育った私の世代ではある一瞬、テクストの現前を当然視していた自分を否定する鏡像をコンピュータのモニターに発見してぞっとしたという経験が必ずあるはずだというわけだ。